「願望実現」オタクが、自分を抉ってみたレポ。

自分を愛するって生半可なことじゃなかった。

嫌な世界をつくる理由

 

願望=実現、内面=世界なのだから、嫌なことが起こっている場合は自分が起こしているのだ、とよく言われる。

 

長年、認めたくなかったが、自愛に舞い戻る前にその理由を探ってみようとしていた。

 

そのとき出てきた理由は、「今の理想じゃない自分を愛してほしいから、愛してもらうまではかわりたくない」だった。

理想を手にした後に愛されても、それは条件付きの愛だから、そうじゃない今の自分をそれでもいいとうけいれてほしかった。だからテコでも望まない現実を動かさなかった。

 

すごく納得したので、ここから自愛に全フリすることにした。最近は愛するとか許すとかいうよりも、自分自身に目を向けてあげること自体が自愛なのではと思っている。

 

自分に目を向けるようになって、まだ今日で1週間ほどだった。その間に、今回また願望実現ループに飛び込むキッカケになった出来事が2つ、大きく改善した。

 

1つめは、体の痛みだ。

色々なところに痛みが出ており、対処するも悪化の一途を辿っていたが、自愛し始めた日から徐々にましになり、今はかなり良くなった。

完治ではないが、日常生活に苦痛があるほどではない。痛みで眠れない日もあったことを思えば劇的な回復だ。

 

2つめは、近隣住人の迷惑行為。

断続的な騒音で、日中も心休まらず、夜も眠れない日々が続いていた。

まだ100%ではないが、かなり改善した。

かなり長期間耐えていたので、その間に音にかなり過敏になってしまい、ましになった今も相手の気配や物音が聞こえたり、他の男性の声をきくと胸がばくばくしたりする(騒音主は男性)。

騒音以外にあと1つ迷惑行為があり、そちらはまだ続いている。まだ完全に心休まる段階ではないし、ぶり返しも恐れている。

正直、出ていってほしいが、次の住人がまたうるさかったら・・・という恐怖があったり。

出ていかすには、このまま騒音が続いた方が強制退去に出きるかも、と矛盾した思いがあり、それが現実化するのも怖い。

 

他のことは「自分を好きになる為に欲してたにすぎなかった。願望ですらなかった」と納得しているのに、この件に関してだけはいまだに執着が強い。

 

いくら自分に集中してみても、実際に声や音が聞こえると心臓がバクバクとなり苦しい。

 

もちろん、望まない現実があるから、自分を愛さないという話ではなく、恐れや不安、執着を持つ自分、そして本当はそれを感じたくない自分を許している。

 

その上で昨日、改めて、望まない現実が起こる理由に関して考えていた。

 

すると今度は「私が手柄をたてたい」「私は人の役に立たなきゃいけない(立っていない)」「完璧にやらなければ叱られる」などが出てきた。

 

私には「人の役に立たなければいけないのに、それができていない」という想いがあり、「人の役に立つことで認められたい。手柄を立てたい」のであるようだ。

 

つまり逆にいえば「人の役に立たないと自分に愛されない」「手柄を立てないと自分に愛されない」「完璧に遂行して100%成功させないと自分に愛されない」ということだ。

 

であるから「私がやりたい(私がやらなきゃ)。私がやらないと私の手柄にならない。私の手柄じゃないと、私は自分に愛されない」ので、自分のコントロール外で叶ったり上手くいったり、対処する必要がなくなるのが嫌なのだ。

 

よって「既に叶っている」「勝手に叶う」は受け入れたくない。受け入れてしまったら自分が手柄を立てるチャンスがなくなる=自分から愛されるチャンスがなくなるからだ。

 

これは見事に現実に反映している。

願望=実現だ。

 

それから、自分を条件付きで愛してきたので、条件的に完ぺきな人がそばにいると嫌だ、というのもでてきた。

 

周囲の人でいうと、たとえば容姿がよかったり仕事ができる人というのは、性格や何かに問題を持っていてほしいのだ。

人格が優れている人なら、能力値は低いなどの要素があってほしいのだ。

なぜなら、容姿も人柄も能力も完璧な人がいたら、劣っている(と思っている)自分には、自分から愛されるチャンスは巡ってこないからだ。

昨今、芸能人やYouTuberたちへの過度なバッシングや誹謗中傷が日常的に行われているが、参加している人はこういう心理なのではないだろうか。まあそれも私の内面の反映だが。

 

ということで、これも見事に願望実現してきた。

 

そして最後に、「最悪な状況やパッとしないところから、奇跡を起こして一発逆転したい」のような願望も出てきた。

これは1つめと被るが、そういった問題のある状況で自分自身の能力を発揮して誰かや自分の役に立てば、評価してもらえるし自分に愛してもらえるからだ。

その為にエッチラオッチラ問題をつくり続けてきたのだろう。問題がなければ解決できないし、解決できなければ手柄はたてられないからだ。

 

通常なら簡単にすむことが、ものすごい遠回りをしなければならないことがこれまで何度もあったのだが、それは役に立っていない、なにもできていないという罪悪感を埋めるためだったのかもしれない。

まさに願望=実現だ。

 

この理由を見つけたからといって叶うとかではないが、いかに自分が願望を実現してきたのかは納得が行くし、願望=実現が存在することを認めざるを得ない。

 

私は自愛するに当たって、自愛で有名なisaさんと、isaさんが紹介していたひねくれさんを参考にしているのだが、2人の教えには日々発見があって、非常に感謝している。

 

リアルタイムで会いたかった気持ちもあるが、そうすると依存してもしまいそうなので、残してくれた膨大な言葉から学び続けようと思う。

この2人の存在も愛だと思う。