「願望実現」オタクが、自分を抉ってみたレポ。

自分を愛するって生半可なことじゃなかった。

叶わなくていいなら、法則も不要だった。

私が願望実現にドはまりするキッカケはなんだったのか・・・。

今となってはよく覚えていません。

 

なんか最初はオカルトっぽさに惹かれてた気がします。

それが段々「これはマジだぞ・・・?」ってなってきて・・・。

 

まあなんであれ、私のどん底人生が明るくなったキッカケになってくれたものなので、感謝しています。

 

といっといてアレなんですが、「叶えなくてよくなった」今となっては、願望実現でいろいろ言われている法則なんかも、別にいらないじゃんって話なんですよね。

 

「内面=現実」とか「自分=世界」とか。

引き寄せの法則とか、思考が現実になるとか、いや感情が云々とか・・・。

無意識化(潜在意識)に刷り込まれたものが現実化するとか。

 

以前は、それこそ全力で縋ってました。

五体投地くらい。

 

それがあるからこそ、内面を調整する意味がある訳ですし、その結果願いも叶う訳ですし。

 

でも、叶わなくていいとなったら・・・。

なにも従うべき法則がなくなっちゃうわけです。

 

「叶えたい立場」からしたら、法則とかはぜんぶ「叶える為の法則」なんですよ。

だから「別に叶えなくていい」になったら、それらの法則いらないですよね。

消す必要はないですけれど。活用する必要はなくなっちゃう。

 

「叶えなくていい」ということは「叶える為の○○」が全部なくなっちゃう。

言動も思考も感情も現象も認識も・・・全部ただ自然に浮かび上がってきただけのものなんですよね。そしてそのまま愛されてしまう。愛していい。

 

この自由さはすごいなと思います。