「願望実現」オタクが、自分を抉ってみたレポ。

自分を愛するって生半可なことじゃなかった。

背後でずっと見られている安心感<〇△〇>

こんばんは、モヘジです。

モヘジの表記がカタカナだったかひらがなだったか、おぼろげになってしまってます。

 

なんとなく『私』とは違う、というか、私を内包したバックグラウンドにある存在を感じ始め。

 

そうなると『私』はすぐに、

 

「よし、この背後のものを利用して願いを叶えよう」

「これで全部うまくいくはず!ルンルン♪」

 

とか期待し始めるわけです。

 

知識だけは満載な私ですから、今まではそういう期待が出てくると、

 

「だめだめ、もう叶っているんだから、期待なんかおかしい」

「期待が出てきてるってことは、まだ完全に認識を変えれてないんだ」

 

と、抑えつけたり、またゴール探しの旅に出ていました。

 

でも今は、そういう私の様子を、後ろからジッと見てい存在を感じるんです。

 

感じるだけで、色々浮かんできているものを、どうにもしなくていいんだと分かるんですね。

 

願望実現界でタブー視(?)されている思考や感情も、今までのように「早くどうにかしなきゃ! えっと、まずは拒否せず十分に感じて、それをリリースして」とか焦らなくなりました。

 

ただ、そのままに、出てきたものを見ていればいいのだと、なんとなく分かってきました。

 

たとえアワアワしている私がいても、その私をジッと見ていてくれる、なにも修正しようろせず、善悪もなく受け入れてくれている、そういう存在を感じると、安心感があるんですよね~。

 

よく『私』とは違う存在(? 空間? 意識?)を感じると、安心感に包まれるとか聞きますけど、私はよく分からず。

 

なんとなくボンヤリ感じているだけで、特に何も感じなかったんですね。

 

でも、またそこで、

 

「安心感がないってことは、また間違ってるんじゃねーか!?」

「安心感を感じ取らないとーー!」

 

って拘っちゃうと、ドツボにはまるのが分かり切っていたから、まあいいやーって思ってほっておいたんです。

 

だから自然と、ジワジワと、安心感のようなものが湧いてきました。

染み出してくる感じで。

 

すると、小さな嬉しい事とかによく気付くようになる。

 

前は「これも嬉しいけど、もっと大きな嬉しい事がないかなー」って少し残念な気もあって「早く大きなことが来ないかなー」って待ちわびている感じもあって、「いや、この小さいのを積み重ねれば、そのうち大きなのがくる!」と自分を鼓舞することもあって。

 

そういうのが全くないわけじゃないんだろうけど、後から「あれ、これって結構うれしいなあ」って気付く感じで、小さな幸せがありますね。

 

また続けていこうと思います。

続けるっていうとなんか違うのかもしれないけど。