「願望実現」オタクが、自分を抉ってみたレポ。

自分を愛するって生半可なことじゃなかった。

願望は浮かぶのか浮かばないのか

 

私の本願とは「無条件に自分を愛すること(愛されること)」なので、今まで願望だと思って渇望してきた「理想」は、最初から願いですらなかったわけです。

 

それを持ってれば自分に愛してもらえる(持ってなければ愛されない)と思ってたから、必死に欲しがってただけなんです。

 

「ではお前は一切、なんの願望も浮かばないのか」

 

と聞かれると、もちろん浮かびます。

 

願望というか、「あれしたい、これしたい」は普通にありますよね。

 

旅行番組を見れば「こんなとこ行ってみたいね~」かもだし、豪邸を見れば「かー! こんな金があればなあ」かもだし、美人を見たら「あんな顔とスタイルに生まれたかったー! ずりー!」かもしれません。

 

でも、これって「喉かわいたー水のみてー」「トイレいきたーい」と何も変わらないじゃないですか。ただ自然な欲求というか。

 

なので「~したいなあ」で、終わりです。

私はそう感じる自分を許していますし、「それを手にできない自分」も許してますので、「絶対手に入れなきゃ! その為にはうんぬん」は発動しません。

 

だって何も持ってなくても愛してもらえるのでね。

もしその思考が叶わない要素だとしても、叶える必要がないんだから関係ないわけです。

 

そこだけが以前との違いでしょうか。

でも渇望が湧いたとしても、そんな自分も許してるから、それで終わりです。

 

以前は「叶えねば」があったので、「渇望してるってことは今ないって認めてるってことだから、もう既にあるって感じなきゃ」とかやってましたが、今は「別に叶えなくていい」なので、どう感じようが考えようがオールフリーですね。