「願望実現」オタクが、自分を抉ってみたレポ。

自分を愛するって生半可なことじゃなかった。

何も叶えなくていい世界が、私の叶った世界だった

こんちは、モヘジです。

 

本願は無条件に自分を愛すること(愛されること)。

今まで願いだと思ってた理想は、自分からの無条件の愛を受け取る為に必要だと思い込んでいただけ。つまり、願ってすらいなかったということ。

 

それが分かって、私はもう(理想を)叶える必要がなくなった。

どれだけ嫌だ不快だと思っている自分のままでも、愛されてしまうからだ。

 

ふと「そうかあ、この世界が、私の叶った世界だったんだな」と思った。

 

私はずっと「理想を叶えたかった(手に入れたかった)」が、その裏にある本音は「さっさと全部を叶えて、こんな役目(義務)から解放されたい」だった。

 

叶える為に、現実的と言われる手段であれ、スピリチュアル的だといわれる手段であれ、本当は何もしたくなかった。

でも「手に入れなければならない義務」は絶対だと勘違いしていたので、ずっと手放せなかった。休めなかった。

 

私には今でも「こうなったらいいな」という感情や思考はある。

中には執着しているものもあるだろう。

 

でも「こうなったらいいな」と「絶対に手に入れてやる」が繋がらない。

「こうなったらいいな」は「こうなったらいいな」のままなのである。

「ほしい」という感情があったとしても、手に入れる役目は私のものじゃない。

 

もし絶対に叶える必要があるのなら、私とは関係のないところで、私抜きでご勝手にどうぞ、という感じ。

 

私の唯一の役目は、どんな自分も無条件に愛することだけだ。

 

「ほしい」と「絶対に手に入れてやる(私が手に入れなければ)」を強烈に関連付けていたことが、私を一番苦しませていたと思う。なんの疑問もなく=でつないでいたことが。

 

この「何も叶えなくていい」「叶える義務を負っていない」という世界が、私が最も欲しかった世界だったのだ。