「願望実現」オタクが、自分を抉ってみたレポ。

自分を愛するって生半可なことじゃなかった。

人を恨む自分を許したかった

どうも、モヘジです。

 

そもそも今回また「絶対ぜったい叶えてやるぞ!」という、いつものサイクルに入ったのは、とある1つの不快な出来事が原因でした。

 

その現象は私を長期間苦しめてきた、ということに気付き(気付くもなにも明らかだったのだが)、どうしても解決したかった。その現象を起こしている張本人へ対する憎しみと怒りが毎日私の頭と心を離れなかった。

 

でも解決の為の行動は、嫌な現象を強める気がしてなかなか出来なかった。

それがアファをし出して、最終的に自愛に行き着いて、行動する気になった。

わずか3~4日の間の変遷だったと思う。

 

その行動とは第三者に介入を頼むことだったのだが、その第三者がしっかりと対応してくれると約束してくれた。「仕方ない」で済まされるかと危惧していたが、共感を示してくれて、それだけでひどく救われた。

 

その後、実際の対応の詳細は知らないが、事態は随分と改善した。

まだ100%の解決とは思わないし、感覚過敏と、またぶり返すのじゃないかという疑心暗鬼も消えないが、とりあえずは以前よりはずっとずっと平和な毎日を送っている。

 

ただ、私は元凶であった人物を恨み続けていた(というか今も)。

とにかくその人物が嫌いになってしまったので、微かな気配を感じただけで嫌悪で心臓がバクバクするほどだ。

 

願望実現系では、「世界=自分だから、人を恨まない方がいい」みたいなことがよく言われる。「自分に跳ね返ってくる」「自分を恨んでることになる」と。

 

それで私もいつしか、人を恨んだり嫌うことはダメだと思うようになっていた。

誰かに腹が立っても「でも、相手にも事情があるし」「自分も悪かったし」「もめ事になったら面倒くさいし」「大人げない。同じ土俵に立っちゃいけない」と、何かにつけて怒りを静めようとしてきた。

 

同時に、相手にビシリと自分の主張を伝えられない自分も情けなく思っていた。

私のことが大事なら、堂々と対処してくれよ、と自分に対して思っていた。

 

今回の件についても、愚痴は言いつつも、同じように相手の心情を慮ろうとしていた。

 

だが、どんな自分の恨みや怒りを静めようとしても、状況は悪化の一途をたどり、心身ともに限界が来ていた。

いつものように冷静な一部分が残っているような状態ではなくなり、相手のことを心の中や言葉で罵る日々が続いた(本人にはいっていない)。

 

「ウザイ」「キモイ」「頭おかしい」「自分勝手すぎる」「いい歳した大人が情けない」「不幸すぎる人生」「しょうもない人間」「〇ね」「事〇ればいいのに」

 

このように散々だった。

相手の人格に留まらず、存在自体を否定した。消滅することを望んだ。

かつての自分自身に対するように。

 

こうして罵倒することによって、嫌な現実を固定し、更に悪化させるかもしれない。

そう思うと怖かったが、止められなかった。怖がる自分も許した。

 

そして酷い言葉で相手を罵る自分も許した。相手を許したくない、憎しみ続けたい気持ちも許した。

一方で、相手を恨みたくない、こんな風に囚われたくないという相反する感情も許した。

 

そうこうするうちに、私の気持ちは自然と、少しだけ、穏やかになった。

今も相手が大嫌いではあるし、改善したとしても許したくないが、それも肯定している。この恨みや憎しみが自分に返ってくるのだとしても、私は今の自分の気持ちを肯定する。

 

この恨みもいつかは消えるのかもしれない。

でも、自分で消したり、変えたりする必要はない。

私が持ち続けたい、感じ続けたいうちは、思う存分それを許そうと思う。

私自身と一緒に、のたうち回ろうと思う。

 

自愛とは、そういう覚悟だと思う。